元禄11年(1698年)稲垣安芸守重定によって築かれた。
稲垣重定は後に志摩国鳥羽藩になる稲垣家の分家で、上野国伊勢崎藩主稲垣茂の三男重太より分かれる。重太の嫡男が重定で四代将軍徳川家綱に仕えた六千石の大身旗本であったが、若年寄に進み一万三千石の大名となり諸侯に列した。
元禄11年(1698年)常陸の所領を近江に移され、このとき山上陣屋を築いて藩庁とし山上藩となった。その後、稲垣氏が代々続いて明治に至る。
山上陣屋は旧湖東信用金庫永源寺支店のところに築かれていたが遺構はない。紅葉橋西詰の辺りで「元天神社鎮座地」の碑とともに「山上藩の変遷と陣屋跡」という案内板がある。陣屋はこの南向にあったと思われる。