近江 仁正寺陣屋おうみ にんしょうじじんや
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元和6年(1620年)市橋長政によって築かれた。 元和6年(1620年)越後国三条の市橋長勝が死去すると嗣子なく改易となったが、長勝が家康の信任が厚かったことから養子の長政に改めて蒲生郡・野洲郡などで二万石が与えられ、仁正寺陣屋を築いた。
元和8年(1622年)幕命によって市橋長吉に二千石を分与、2代政信の時に弟政直へ一千石を分与し、文久2年(1865年)には仁正寺藩から西大路藩へ改称して一万七千石で明治まで続いた。
現在は中野城の北側に「藩主市橋氏邸趾」の石碑が建ち、石垣が残されている。