越後 三条城えちご さんじょうじょう

城郭放浪記


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越後 三条城の写真
掲載写真数
形態
平城
別 名
三条島ノ城
文化財指定
なし
遺 構
城 主
山吉氏,神余親綱,堀氏,市橋長勝,稲垣重綱
歴 史

築城年代は定かではない。蒲原郡の中心として栄えた三条には三条城、三条嶋城と呼ばれる城郭が中世にあり、代官として山吉氏が代々城主であった。

山吉豊守は上杉謙信が越中へ出陣の際は、春日山城の留守を務めるなど重用されたが、豊守没後は山吉氏は木場城へ移され、替わって神余親綱が三条城主となった。 御館の乱で神余親綱は上杉三郎景虎に与し、景虎没後も三条城に籠もって抵抗したが山吉景長が城内の旧臣に内応を誘い、それに応じたものに親綱は討たれ落城した。

慶長3年(1598年)上杉景勝が会津へ移封となると、越前国北之庄より堀秀治が越後に入封、このとき三条城主として堀直政、城代として直政の嫡男直清が入城し五万石を領した。 慶長15年(1610年)堀氏は御家騒動によって改易となり、三条城も廃城となった。

元和2年(1616年)市橋長勝が伯耆国矢橋より四万三千石で入封、近世三条城が新たに築かれた。元和6年(1620年)長勝が没すると嗣子なく改易となったが、家康の信頼が厚かったことなどから養子の市橋長政に二万石が与えられ、近江国仁正寺に陣屋を構えた。

替わって越後国藤井より稲垣重綱が二万三千石で入封。慶安4年(1651年)三河国刈谷へ転封となり三条藩は消滅した。

説 明

三条城の所在地については信濃川の氾濫などによってわからなくなっており、中世の三条城は信濃川と五十嵐川が合流する地点の西側辺りと推測されいる。現在信濃川に架かる瑞雲橋から西へ進んだ県道1号線南側に「三条島ノ城跡」の石碑が建っている(地図)。近世の三条城についても明確な所在は不明だが、対岸の三条小学校から北三条駅付近と推測されている。

唯一の遺構とされるのは本城寺に寛永19年(1642年)に移築されたと伝わる黒門である。

城門の写真

城門(移築 城門)


所在地: 本成寺(新潟県三条市西本成寺1)

案 内
最寄り駅(直線距離)
1.1km 北三条駅
1.8km 燕三条駅
2.0km 三条駅
2.7km 東三条駅
4.1km 燕駅
所在地/地図
新潟県三条市
付近の城(直線距離)
1.0km 越後 村上藩三条出張陣屋
1.0km 越後 近世三条城
2.0km 越後 高崎藩一ノ木戸出張陣屋
3.8km 越後 村上藩燕町出張陣屋
5.6km 越後 大崎城(三条市)
8.0km 越後 桝形城
8.2km 越後 大面城
8.6km 越後 長岡藩吉田出張陣屋
8.7km 越後 小栗山城
8.9km 越後 坂井砦
9.1km 越後 須田城
9.5km 越後 片桐館
9.9km 越後 剣ヶ峰砦
最終訪問日
2012年4月
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