築城年代は定かではないが長尾為景によって本格的に城郭として整備された。
長尾景虎(後の上杉謙信)の居城としてあまりにも有名なこの城は、越後守護上杉氏の守護代長尾家が代々守ってきた。 謙信が死去した後、上杉氏は景勝と景虎(養子)によって相続争い(御館の乱)がおこり、景勝は春日山城を拠点として景虎を下す。
慶長3年(1598年)上杉景勝は百二十万石で会津に移封となり、替わって堀秀治が越前国北庄から四十五万石で入封した。
堀氏は後に直江津に福島城を築いて居城とし、春日山城は廃城となった。
春日山城は標高182m程の山に築かれている。現在は国指定史跡となって整備されている。
主郭は山頂にあり南端には浅い堀切を挟んで天守跡と呼ばれる土壇がある。この本丸から東山腹にかけて腰曲輪状になっているのが二の丸、三の丸で三の丸には上杉三郎景虎屋敷がある。この辺り一帯は大木が伐採されて見通しが良くなっていた。
本丸から北東の春日山神社へ伸びた尾根には直江屋敷や千貫門の虎口などが残る。一方南西尾根には井戸曲輪、上杉景勝屋敷、柿崎屋敷などがあり、特に柿崎屋敷は広大な曲輪である。この先から桑取道が北西尾根へ続いており、この尾根沿いに数条の堀切が残る。
大手道は南三の丸から柿崎屋敷へと繋がっており、入口からの途中には番所跡とされる塚状の土塁が残されている。
近くにある林泉寺の山門は春日山城の移築門と伝えられる。このお寺には上杉謙信、上杉為景、上杉能景、堀氏、松平氏の墓が残る。
春日山城史跡広場は監物土塁と呼ばれる惣構えの堀と土塁があり、公園として整備されている。こちらは東城砦を参照。
城門(移築 城門)
本丸に一番近いのは三の丸下に駐車場がある。少し手前の春日山神社の駐車場や大手道なども利用できる。
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