慶長19年(1614年)松平忠輝によって築かれた。 堀氏が除封となり越後国と信濃川中島併せて六十万石で福島城に入った忠輝は福島城を廃し高田城に移築を開始する。 高田城は天下普請として諸大名が築城にかかわった。
和暦(西暦) | 事象 |
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慶長19年(1614年) | 松平忠輝が六十万石で入封。 |
元和2年(1616年) | 松平忠輝は改易。 上野国高崎より酒井家次が十万石で入封。 |
元和4年(1618年) | 酒井忠勝の時、信濃国松代へ転封。 信濃国松代より(越前)松平忠昌が二十五万石で入封。 |
寛永元年(1624年) | (越前)松平忠昌は越前国福井へ転封。 越前国福井より(越前)松平光長が二十六万三千石で入封。 |
延宝9年(1681年) | (越前)松平光長は改易。以後天領となる。 |
貞享2年(1685年) | 相模国小田原より稲葉正往が十万二千石で入封。 |
元禄14年(1701年) | 稲葉正往は下総国佐倉へ転封。 下総国佐倉より戸田忠真が六万七千八百五十石で入封。 |
宝永7年(1710年) | 戸田忠真は下野国宇都宮へ転封。 伊勢国桑名より(久松)松平定重が十一万石で入封。 |
寛保元年(1741年) | (久松)松平定賢は陸奥国白河へ転封。 播磨国姫路より榊原政永が十五万石で入封、以後明治に至る。 |
高田城は現在高田公園として整備されている。
本丸は高田公園および学校敷地となっている。南西隅に三重櫓が復元され付近には土塁が残る。虎口は南、北、東の三方にあり、南は極楽橋が架かっている。
内堀は完存で、南に二の丸、三の丸、南西隅の野球場の所に瓢箪曲輪があった。外堀は幅広く、西半分が概ね残っている。
三重櫓(復興 櫓)
高田公園内にいくつもの無料駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)