越後 高柳陣屋えちご たかやなぎじんや
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元禄15年(1702年)岩村藩主丹羽氏音は家臣の御家騒動によって所領を一万石に減封され、高柳一万石に移された。丹羽氏は城主格であったが、無城定府に格下げとなったため、高柳陣屋を築いた。
宝永2年(1705年)丹羽氏音が嗣子なく没したが、甥の薫氏が末期養子となって家督を継いだ。享保4年(1719年)大坂城番を命ぜられ、所領は美作・河内に移され、さらに所領を播磨に移されたことから、寛保2年(1742年)三草陣屋を構えて移った。
高柳陣屋は現在の速念寺一帯とされるが遺構はない。