永禄3年(1560年)武田信玄により築かれたと云われる。武田信玄は川中島の拠点として清野氏屋敷を召し上げ、新たに縄張し海津城を築いた。
武田氏が滅亡すると、織田信長の武将森長可が入城したが、本能寺の変により信長が横死すると森長可は美濃国金山城へと退き、上杉景勝の支配する所となった。
景勝が会津に移封となると、豊臣秀吉の蔵入地となったが、後に田丸直昌が入部した。
慶長5年(1600年)直昌は美濃国岩村へ移封となり、代わって美濃国金山より森忠政が十三万七千五百石で入部した。
慶長8年(1603年)森忠政が美作国津山に移封となると、松平忠輝の所領となり城代が置かれた。 元和2年(1616年)松平忠昌が常陸国下妻より十二万石で入封するが、元和5年(1619年)に越後国高田へ転封となる。 替わって酒井忠勝が越後国高田より十万石で入封するが、元和8年(1622年)に出羽国庄内へ転封となる。 最後に元和8年(1622年)に真田信之が上田より十万石で入部し以後明治に至る。