築城年代は定かではないが平安時代末期に築かれたのが始まりとされる。
養和元年(1181年)平家方の越後の城資職が木曽義仲を討つために信濃に侵攻、横田河原の戦でこのあたりに陣を構えたという。この戦いで城資職は敗れて越後に敗走、木曽義仲は一旦越後までそれを追ったが、陣容を整えるために信濃に戻り、横田城に拠点を構えたという。
応永7年(1400年)の大塔合戦では信濃守護職小笠原長秀が善光寺からこの横田城に布陣し、さらに塩崎城へ移った。
横田城は会区公民館の北東側一帯に築かれていた。主郭は「殿屋敷」と呼ばれる一帯であったと考えられ、現在その部分の北西隅にあたる部分に土塁の残欠があり、古殿稲荷社が祀られている。