信濃 大塔城しなの おおとうじょう
△トップに戻る
応永7年(1400年)信濃守護職小笠原長秀とそれに従わない国人衆(大文字一揆)との間で大塔合戦へと発展した。小笠原長秀は善光寺から横田城へ移ったが、劣勢であったため塩崎城へと移動した。しかし、守護方の坂西長国や飯田入道らの軍勢はその途中で国人一揆方に阻まれ、急遽大塔の古要害に楯籠もったが全滅した。
大塔城は篠ノ井駅の南方にある大当集落一帯に築かれていたという。『日本城郭体系』によれば戦前までは一部に堀が残っていたようであるが、現状は宅地や田畑となっており遺構はない。