築城年代は定かではない。伝承によれば在地豪族の桑原氏によって築かれたと云われる。桑原氏が塩崎城主の赤沢氏に属して小坂城に居たが、やがて桑原氏が勢力を持って赤沢氏が衰退し、桑原氏は塩崎城主となって塩崎氏を称した。
天文22年(1553年)に武田領となると保科弾正義昌が在城して小笠原氏に備えたという。 天正10年(1582年)武田氏が滅亡した後は越後の上杉氏が侵攻し、保科左近は上杉氏に降って上杉領となった。
小坂城は龍洞院の北背後に聳える標高660.8mの小坂山から南へ派生した尾根の先端頂部、標高573mに築かれている。
主郭は尾根の先端頂部にあり、部分的に石垣が残る。西下から南側に掛けて帯曲輪や腰曲輪が段々と連なっているが、この辺りは開墾されていたようで農機具なども散乱しており、地形は錯乱している。
主郭の北背後は大堀切で、その背後の尾根には低い土塁囲みの小さな曲輪があり、間は堀切か虎口状の凹みがある。
北尾根をさらに登った所の南端に小さな物見のような曲輪があり、そこから北へ続く尾根には通常の堀切が六条の堀切があり、うち四条は大堀切である。
龍洞院の南側にある墓地の所から小坂城へ続く山道がある。もう一つ西の谷間を登っていくルートがある。
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