築城年代は定かではない。 村上氏の一族山田氏の持城であったと考えられている。
武田信玄が葛尾城主村上義清を追い出した後は、村上氏を離反して武田氏に降った屋代城主屋代正国の所領となった。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡して本能寺の変により織田信長が倒れると、川中島は越後の上杉景勝の所領となり、屋代氏は上杉氏に従った。景勝は海津城代として山浦景清(村上義清の子)、副将として屋代秀正を置いたが、天正11年(1583年)秀正は上杉氏を離反して徳川家康に寝返り、海津城を捨ててこの荒砥城に籠もった。景勝はすぐさま荒砥城を攻めさせて屋代秀正を追い出した。屋代秀正はその後徳川家康に従って各地を転戦し、子の屋代忠正は江戸時代には安房国北条藩祖となっている。
荒砥城は千曲川の西岸、東へ張り出した尾根の先端頂部に築かれている。 現在は「城山史跡公園」として整備され柵・冠木門・櫓門・櫓など中世城館の雰囲気を持った建物が復元されている。
荒砥城は尾根の先端頂部に主郭を設け、東に二ノ丸、南東へ延びる尾根に三ノ丸・四郭があったという。このうち主郭と二ノ丸部分に柵が巡らされ、建物が復元されている。
櫓門(模擬 城門)
井楼(模擬 櫓)
国道18号線戸倉上山田温泉入口交差点を西へ曲がり、橋を渡ってそのまま直進すると山上に登っていく道がある。そのまま進めば公園の駐車場に達する。
以下、訪問当時のものであり、変更されている可能性があります。
開園時間 | 午前9時-午後5時まで(入園は午後4時30分まで) |
休園日 | 年末年始(12/28-1/3) |
料金 | 一般300円 中学生以下無料 |