元和4年(1618年)幕府直轄領の五千石の代官所として坂木村に陣屋が置かれたのが始まりという。
天和2年(1682年)武蔵国岩槻藩主板倉重種は五万石で坂木に転封となった。 重種は徳川家綱に抜擢され老中を務めたが、家綱没後に失脚、また自身の家督相続に関する問題もあって一万石を減封され、五万石で坂木に転封となった。翌天和3年(1683年)重種は領地五万石の返上を幕府に願い出たが、重種の嫡男重寛に三万石、重良の嫡男重宣に二万石をそれぞれ分知することで決着した。重良は上総国高滝に陣屋を構えている。
元禄16年(1703年)板倉重寛もまた陸奥国福島に転封となり、再び坂木は天領となった。宝暦4年(1754年)中野陣屋に統合され坂木陣屋は出張陣屋となったが、宝暦9年(1759年)には廃され、後に焼失した。その後、中之条陣屋が築かれている。
坂木陣屋は坂城駅の東側に築かれていた。 ちょうど駅の前に陣屋の案内板が建っており、それによれば石垣が残っているようだ。
どの石垣が陣屋のものかさっぱりわからないが、稲荷社跡の標柱や井戸などが宅地の中にある。
坂城駅北東側正面に案内板があり、その裏に絵図も付いている。
最寄り駅(直線距離)