築城年代は定かではない。 応永20年(1413年)伊達松犬丸(11代持宗)が懸田城主懸田定勝と結んで鎌倉公方足利持氏に叛き福島城の前身である大仏城に籠った。
天文年間(1532年〜1555年)頃には杉目城と改称され、伊達晴宗が家督を輝宗に譲った後に隠居城としている。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による「奥州仕置」の後、陸奥国会津には蒲生氏郷が入り、家臣木村吉晴が大森城に入った。 吉晴は後に大森城から杉目城に移り福島城と改称した。
慶長6年(1601年)上杉景勝は出羽国米沢に転封となり、三十万石に減封されたが、福島を中心とする一帯は米沢領として本庄繁長が城代となった。しかし、寛文4年(1664年)上杉綱勝が嗣子なく没すると吉良氏から綱憲が養子となったが、所領は十五万石に減封され、福島一帯は天領となった。
・延宝7年(1679年)大和国郡山より本多忠国が十五万石で入封、天和2年(1682年)播磨国姫路に転封。
・貞享3年(1686年)出羽国山形より堀田正仲が十万石で入封、元禄13年(1700年)正虎の時、出羽国山形に転封。
・元禄15年(1702年)信濃国坂城より板倉重寛が三万石で入封。
・明治2年(1869年)に三河国重原に二万八千石で移封。
福島城は現在の福島県庁一帯に築かれていた。本丸は県庁の東で大仏橋が架かっている辺りである。
福島城の遺構は乏しく、県庁の南背後、杉妻会館との間に土塁と空堀が残っている程度である。