築城年代は定かではないが鎌田氏によって築かれたと云われる。 鎌田氏は弘治3年(1263年)大和国から宇野信治が鎌田庄に移り鎌田氏を称した事に始まるという。
鎌田氏の動向については詳らかではないが、天文の乱のときには嫡流とみられる鎌田四郎兵衛と長井に居た鎌田与総衛門が伊達晴宗方、名取郡にいた鎌田助六が伊達稙宗方についていた。
鎌田四郎兵衛は杉目城の城代であったとも伝えられ、その子備前のときに伊達政宗にしたがって鎌田庄を去ったという。
鎌田館は鎌秀院境内一帯に築かれていた。鎌秀院が本丸で石碑があり、境内の西と南に土塁が残っている。