伝承によれば永承年間(1046年〜1053年)源頼義が安倍頼時・貞任父子を伐ったときに築かれたと云われる。
館主は本内氏で、天文の乱のときには本内相模守が伊達稙宗に属していた。天正年間(1573年〜1592年)には本内駿河が居たが、慶長5年(1600年)伊達政宗が福島を攻めた時に落城したという。
本内館は本内八幡神社一帯に築かれていた。南北に二つの曲輪があり、本内八幡神社の南の道路が境で、北が古館、南を本内館と呼ぶようである。北の古館がその名の通り、古い時代の館で、その後これを破棄して南に本内館を新設したものと考えられている。
遺構は正福禅寺の辺りに土塁が残っている。