築城年代は定かではない。伝承によれば保元2年(1157年)に藤原秀衡の一族で信夫庄司の佐藤基治が築いたという。
文治5年(1189)年佐藤基治は源頼朝軍を石那坂に迎え撃ったが敗れて捕らわれたが、後に赦されたという。佐藤基治は源義経に仕えた佐藤継信、忠信兄弟の父である。この佐藤基治が落武者として青森の石名坂館へ落ちていったという伝承がある。
南北朝時代には佐藤清親があり、後に伊勢へ移っている。
大鳥城は標高230.0mの舘山に築かれており、現在は舘ノ山公園として整備されている。
本丸は山頂で広く公園となり「佐藤基治公一族追善供養塔」などが建立されている。東尾根に一ノ砦、三ノ砦と段曲輪が続いているが、二ノ砦の表記は遊歩道沿いには確認できない。
注目すべき遺構は西尾根にある『矢庫の跡』と呼ばれる曲輪で、方形に三方を土塁で囲み外側に横堀を回している。公園化によって細かな遺構がわからなくなっているなか、この部分だけは良好に残っている。
山頂のすぐ下にも駐車場があるが、山腹にある駐車場から
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