築城年代は定かではない。南北朝時代に佐藤十郎左衛門盛衡が居たと云われるが確証がない。
天文の乱の頃には伊達実元の城で父稙宗方であった。天正13年(1584年)実元は家督を成実に譲り八丁目城に隠居した。
天正14年(1585年)伊達氏は二本松城の畠山氏を攻略し、成実はその功によって二本松城主となり、替わって片倉小十郎景綱が大森城主となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置きによって木村吉清が大森城主となったが、文禄3年(1593年)杉目城へ居城を移したため大森城は廃城となった。
慶長3年(1598年)上杉景勝の会津転封によって、景勝の重臣栗田国時が大森城代となる。その後芋川氏が城代となったが、寛文4年(1664年)米沢藩が領地半減となり、この地は天領となったため廃城となった。
大森城は標高143.2mの城山に築かれており、現在は大森城山公園として整備されている。
南北に長く伸びた丘陵に築かれた城で、主郭は中央の最高所にある。公園化にともなうものか、現状ではさほど要害であるようには見えず、主郭と南の駐車場の間に堀切があるくらいである。北端には櫓を模した展望台がある。
南山腹に駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)