築城年代は定かではない。暦仁元年(1238年)大江時広によって築かれたとも云われる。 時広は大江広元の次男で長井氏を称した。
後に伊達氏の本拠となり伊達政宗もここで誕生した。(伊達氏の居城はこの米沢城ではなく、館山城とする説もある。) 伊達氏はここを拠点として政宗の時代に勢力を拡大するが、天正19年(1591年)豊臣秀吉に臣従し陸奥国岩出山城に移封となる。
伊達氏移封の後、会津百二十万石で入封した蒲生氏郷の家臣蒲生郷安が入城する。 慶長3年(1598年)蒲生氏郷が亡くなり秀行の代になると蒲生氏は下野国宇都宮に移封となり、かわって越後国春日山城より上杉景勝が会津に入封しその家臣直江兼続が城主となる。
関ヶ原合戦の後、上杉氏は西軍に組したため米沢三十万石に減封となり上杉氏が米沢城に入封し以後明治まで続く。
米沢城は米沢市の中心にあり、現在は松が岬公園として上杉氏を祀る上杉神社の境内となっている。この部分が本丸で一辺100m四方程の方形の曲輪で周囲に水堀が巡っている。この周りに二の丸、さらに外側に三の丸があったが現在は市街地に埋もれている。
公園の無料駐車場がある。
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