陸奥 二本松城むつ にほんまつじょう

城郭放浪記


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陸奥 二本松城の写真
掲載写真数
形態
平山城(345m/120m)
別 名
霞ヶ城,白旗城,霧ヶ城
文化財指定
国指定史跡
遺 構
石垣,土塁,郭,堀,井戸
城 主
二本松畠山氏,伊達氏,蒲生氏,上杉氏,蒲生氏,松下長綱,加藤明利,丹羽光重,丹羽長次,丹羽長之,丹羽秀延,丹羽高寛,丹羽高庸,丹羽長貴,丹羽長祥,丹羽長富,丹羽長国
歴 史

応永21年(1414年)畠山満泰によって築かれたといわれる。

畠山氏は足利尊氏が奥州管領として吉良貞家と供に下向させた一人で畠山氏は安達郡の西半分を吉良氏は東半分を領した。しかし、観応の擾乱が勃発すると畠山高国・国氏父子は吉良貞家に攻められ利府城で自刃したが国氏の子国詮が会津に逃れ後に本領を回復した。

天正13年(1585年)畠山義継は伊達氏に降伏し、取り成してもらったお礼の為に伊達輝宗(政宗の父)の所に出向いたが義継は輝宗を拉致する。政宗はこれに対して輝宗と供に畠山一行を鉄砲の餌食とした。政宗は二本松城を落とし片倉小十郎、後に伊達成実を城代として置いた。

会津が伊達氏から蒲生氏、上杉氏、加藤氏と替わるにつれそれぞれの城代が置かれたが寛永20年(1643年)白河から丹羽光重が入封し城を大改修した。丹羽氏は11代続いて明治に至る。

戊辰の役では二本松兵は白河口に出兵していたが、その間に間道を通って新政府軍が二本松城下へ迫ってきた。二本松藩は少年兵をも出撃させて新政府軍と戦ったが、城はわずか一日で落城し、二本松少年隊の悲劇を生んだ。この戦いで城の建物は尽く焼失したという。

説 明

二本松城は標高345mの白旗ヶ峰山頂に築かれている。山頂の本丸を中心に東に松森館、鹿子田館、南に新城館、箕輪館、本宮館、南東麓に二の丸が築かれ城域は広大である。

山頂の本丸は総石垣で北端に天守台、東に枡形虎口があった。この本丸石垣は発掘調査によって確認され修築・復元されたものである。本丸から唯一尾根続きの北尾根は堀切で遮断されている。

南東麓に二の丸があり、ここに箕輪門が復元されている。

洗心亭の写真

洗心亭(移築 茶亭)


所在地: 福島県二本松市郭内3

箕輪門の写真

箕輪門(復元 櫓門)


所在地: 福島県二本松市郭内3

案 内

二の丸前に大きな駐車場がある。また本丸のすぐ下にも駐車場があり車で山上に登る事も可能だが、ここへの道は狭く離合困難である。

最寄り駅(直線距離)
1.3km 二本松駅
3.6km 安達駅
4.2km 杉田駅
7.8km 松川駅
9.2km 金谷川駅
所在地/地図
福島県二本松市郭内3
付近の城(直線距離)
1.6km 陸奥 田地ヶ岡館
3.4km 陸奥 高田館
5.3km 陸奥 田小屋館
6.9km 陸奥 愛宕館(松川町)
6.9km 陸奥 土合館
7.2km 陸奥 八丁目城
7.3km 陸奥 岩角城
7.5km 陸奥 三島館
8.3km 陸奥 小浜城(岩代町)
8.3km 陸奥 名郷館
8.9km 陸奥 本宮城
9.0km 陸奥 宮森城
9.9km 陸奥 四本松城
9.9km 陸奥 玉井城
最終訪問日
2017年5月
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