築城年代は定かではない。
二本松城主畠山氏の家臣遊佐丹波守、下総守の居城であったが、天正13年(1585年)伊達氏が畠山氏を攻めたときに伊達成実によって攻略された。伊達成実が二本松城主になった後はその家臣遊佐新右衛門が居城とした。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置きによって蒲生氏郷が会津に入ると、蒲生氏の家臣野田正勝が千石を領して城主となった。
田小屋館は上払川に面した独立丘陵に築かれている。
山は北西と南東の峰によって構成されており、どちらも城域とのことであるが、北西側の主郭と思われるほうのみ見学した。
主郭は山頂にあり、一段小高く楕円形の曲輪があり、その下方に平場がある。西端には土塁が付いているが、土塁は南北方向に竪土塁として伸びており、南の帯曲輪を含め西曲輪を遮断する。西曲輪群は一部土塁の付いた段曲輪となっており、麓近くには大きな横堀から西尾根を遮断するように弓形に巡っている。
西の県道沿いに案内板があり、そこから入ることができる。
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