築城年代は定かではないが鎌倉時代に伊達崎氏によって築かれたと云われる。 伊達崎氏は奥州合戦によって陸奥国伊達郡を賜った伊達朝宗の六男実綱を祖とする。実綱が伊達崎郷を分与され伊達崎城を築いて住み、伊達崎氏を称したことに始まる。その後、子孫は伊達崎が宗家伊達と混同される恐れがあるとして田手氏を称している。
天文年間(1532年〜1555年)の伊達稙宗と晴宗による伊達家の内訌(天文の乱)で、田手実烈は伊達晴宗に従って戦い、実烈の子、田手宗光は相馬氏に備えて角田城主となった。その後、宗光は相馬氏に通じて伊達氏を離反したが、嫡男宗時は父に従わず伊達氏に従って戦功を挙げ角田城主となり、父宗光は罪を許され隠居した。
伊達崎城は阿武隈川による河岸段丘の南端に築かれている。 段丘に面して西館と東館の副郭となっているが、西館は一辺約100m四方で、この部分が当初居館として築かれ、後に東館を拡張したものと考えられている。
現在一帯は宅地や田畑となっているが、西館の部分には土塁や水堀が残されている。