寛政4年(1792年)陸奥国福島藩板倉氏によって築かれた。
この地は元々刈谷藩領であったが、寛政2年(1790年)に起こった土一揆により、幕府に福島藩領との領地替えが命ぜられた。福島藩板倉氏は天明の飢饉(1783年)などによる財政の圧迫により幕府に領地替えを嘆願しつづけ、刈谷藩領一万三千石と福島藩領一万石そして天領三千石が替え地となった。この飛領地を管理するために重原陣屋が設けられた。
明治元年(1868年)福島藩は奥州列藩同盟に与した為、藩主板倉勝尚は隠居を命ぜられ、家督相続が認められた板倉勝達は旧会津藩領大沼郡内に移封を命ぜられたが、明治2年(1869年)に三河国重原二万八千三百五十二石に移封となった。
重原陣屋は現在の浄福寺一帯に築かれていた。遺構は残っていないが浄福寺の山門脇に石碑と案内板、そして牛田村と池鯉鮒宿との境にあったという福島藩領の碑が移されている。福島藩領の碑は近くの重原城の所にも残っている。