築城年代は定かではないが鎌倉時代に小川重房が築いた地頭屋敷がその始まりと云われる。
延文5年(1360年)土岐氏に攻められ落城。その後、小川氏の末裔である水野貞守が文明7年(1475年)に緒川古城を築いた。貞守は三河国にも勢力を拡げ、刈谷古城を築いた。
徳川家康の生母於大の方の父である水野忠政はさらに勢力を拡げて、三河国刈谷城を築き居城を移した。このとき緒川城には嫡子水野信元を置いた。 天正3年(1576年)水野信元は武田勝頼に通じたと佐久間信盛によって織田信長に通告され、その嫌疑によって謀殺された。これによって緒川古城は廃城となり、佐久間信盛の所領となった。
天正8年(1580年)信長は信元の弟水野忠守に旧領を与え、このとき築いたのが緒川新城と云われる。
緒川城は現在の東浦町役場の北東にある丘陵に築かれていた。 現在、宅地の中の小公園に櫓台、土塁跡が残り、於大の方誕生之碑とともに城石碑と案内板が設置されている。
付近には「古城」、「羽城」、「政所」、「高薮城」などの地名が残るが、ほぼ宅地化され残されている遺構は少ない。
町役場の西にある乾坤院は水野貞宗が建立した水野氏の菩提寺で、水野氏四代の墓があり、総門は緒川城の移築門とも伝えられている。
乾坤院総門(移築 城門)
県道24号線東浦役場前交差点付近に緒川城への道標が建っているが、公園には駐車場がないので町役場の駐車場を利用するように指示されている。
最寄り駅(直線距離)