築城年代は定かではない。 石碑の碑文には「長元時代鴫原荘司源貞行ノ邸址ナリ」とあり、また「平治物語」の中に登場する「三河には重原兵衛父子二騎」とあり、平安時代にさかのぼる可能性がある。
承久の乱(1221年)で重原氏は後鳥羽上皇方に組して没収され、新補地頭として二階堂氏が任命された。
天文17年(1548年)には重原城が築かれており、天文23年(1554年)には織田方の山岡河内守が城主であったが、今川方によって攻め落とされた。
重原城は重原駅の東にある上重原公民館付近に築かれていた。 大半の遺構は宅地となって消滅しているが、公民館の東側に南北に空堀と土塁が残っている。石碑は公民館の北側に建っている。