築城年代は定かではないが永見氏によって築かれた。 永見氏は知立神社の神主で、その居館が知立城の始まりとされる。 戦国時代には刈谷城水野氏との関係を深め、台頭してきた松平清康、ついで今川義元に仕えるが、今川義元が桶狭間に倒れると敗走した今川軍を追った織田方によって落城した。
天正年間に刈谷城主水野忠重によって御殿が建てられ、将軍上洛時の宿泊施設となっていたが、元禄12年(1699年)の大地震により倒壊した。
現在は市街地となり、西町児童公園に石碑と案内板が設置されている。公園内に井戸跡らしきものがあるが、これが遺構かどうかはわからない。