築城年代は定かではないが応永元年(1394年)頃に藤原義行によって築かれたと云われる。
明応元年(1492年)頃に近藤氏の居城となり、永禄3年(1560年)桶狭間合戦で近藤景春が討死するまで続いた。桶狭間合戦では今川義元が討死する前日に当城で軍議が開かれていた。
桶狭間合戦で織田軍は沓掛城を落とし、簗田政綱が城主となった。 天正3年(1575年)簗田広正は加賀国大聖寺へと移り、かわって信長の弟である織田信照、ついで川口久助が城主となる。 しかし、関ヶ原合戦で久助は西軍に属したため捕らわれ、廃城となった。
現在城址は公園として整備され、本丸を空堀が巡り、南の大手に土橋が残っている。