築城年代は定かではないが服部氏によって築かれたと云われる。 服部氏が虚空蔵山城(麻績古城)の守りを固めるために、背後の山に築いたのが始まりといわれる。
服部氏の後は、武田氏に属した青柳城主青柳清長が麻績氏を称して麻績城主となった。 武田氏滅亡後、上杉景勝と小笠原貞慶によって争奪戦が繰り広げられ、最終的には小笠原氏の所領となった。
麻績城は麻績川の北岸に標高943mの城山山頂に築かれている。城山はのろし山と尾根続きの南西の峰である。
麻績城は細長く東西に伸びた城山の尾根に、堀切で区画した曲輪を連ねた縄張りで、西端に主郭がある。
城内で最も広く、唯一曲輪と呼べる程の広さがあるのが主郭で、西側から北側にかけて階段状に帯曲輪を設けている。服部氏の居館と伝えられる南麓の古屋敷から通じる道は、城山とのろし山との鞍部に通じ、主郭とその間には数条の堀切が設けられている。
麻績城は南麓の古屋敷と西沢川沿いにある北山地区から登山道が設けられており、登山口の少し手前に駐車場がある。北山地区側から登り麻績古城を経由して降りてきたが、麻績城から麻績古城へは直接道が付いていないので一度下山して再度登る方が良い。
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