詳細不明。永禄元年(1558年)に武田信玄が上杉謙信に対する備えとして北信の城番衆を定めているが、そのなかに大岡城があり、市川梅隠斎等長や青柳氏らが在番を務めていた。この大岡城が砦山城と推定されている。
砦山城は天宗寺の南西に伸びた尾根の先端に築かれている。
単郭の城で一辺30m四方ほどの規模で横堀が全周する。内部はやや南西に傾斜しており、北側に分厚い土塁が付いている。虎口は3か所あり北東の馬出1、南西の馬出2、南東の虎口3である。
馬出1は小規模な馬出で低土塁が確認でき外側は2ヶ所土橋がかかって東側が天宗寺から続く山道とつながる。馬出の内側も食い違いのような形状が確認できるが錯乱が多く明確ではない。
馬出2は主郭と木橋で繋がっていた馬出で、外側は概ね土塁があり内部はやや窪んでいる。南北両側に土橋が架かり、外側は高低差のある横堀4となる。
南の虎口3は幅広の土橋が架かり、内側に土塁がやや張り出している。桝型状のようでもあるがはっきりしない。
天宗寺は砦山城に関連する館跡ともされるが、土塁とされる境内東側の土盛は現状館跡の土塁のようには見えない。
天宗寺に駐車可能。境内の隣にグラウンドがあり、その奥に城跡がある。
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