築城年代は定かではないが香坂氏によって築かれたと云われる。
滋野系香坂氏代々の居城であったが、川中島合戦で上杉氏に通じたため、永禄4年(1561年)武田信玄によって香坂氏は誅され、その名跡は娘婿の春日弾正虎綱が継いだ。
その後、深志城主馬場信房によって牧之島城は改修され城代となる。天正3年(1575年)長篠合戦で馬場信房が討死すると、翌年にはその子馬場昌房が城将となり、上尾城主の平林正恒も在城した。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、上杉景勝が牧之島城を奪い芋川親正を置いた守らせたが、慶長3年(1598年)上杉氏の会津転封により移っていった。
慶長8年(1603)松平忠輝が松代城主となると家老を置いて守られせたが、元和元年の一国一城令によって廃城となった。
牧之島城は犀川が大きく蛇行して半島状になった微高地に築かれている。現在は県指定史跡として公園整備されている。
牧之島城は細長く東西に伸びた台地を南北に空堀を設けて区画し、南に本丸、北に二の丸を配している。本丸の東と北にそれぞれ「人桝」と呼ばれる枡形虎口がある。東の虎口は人桝から木橋を渡って丸馬出へと通じており、木橋の架かる深い空堀の北側には玄蕃稲荷が鎮座している櫓台が張り出している。北虎口は二の丸へと通じており、この部分は水堀となっている。
本丸東の丸馬出の部分が駐車場になっている?
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