信濃 塩崎城しなの しおざきじょう

城郭放浪記


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信濃 塩崎城の写真
掲載写真数
形態
山城(560m/190m)
別 名
五万長者城,白助城
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,土塁,郭,堀,井戸
城 主
赤沢氏,塩崎氏
歴 史

築城年代は定かではない。塩崎城には小笠原一族で伊豆国赤沢発祥の赤沢氏が四宮荘の半分を領していた。

信濃国守護に補任されて下向した小笠原長秀だが応永7年(1400年)に大塔合戦へと発展し、合戦で敗れた長秀が立て籠もったのがこの塩崎城で、大井光矩の調停によって開城し京へ退いた。

長秀が撤退した後は村上氏に属していたが、小笠原政康が信濃国守護となると村上氏と戦って小笠原領となった。しかし、小笠原氏の勢力が衰えると小坂城の桑原氏が台頭して赤沢氏は勢力を失い、桑原氏が塩崎城主となって塩崎氏を称した。

天文22年(1553年)武田氏が村上氏を攻めると、屋代城主屋代正国とともに武田氏に味方した。天正10年(1582年)武田氏が滅亡して上杉景勝が侵攻してくると上杉氏に属したが、天正12年(1584年)屋代秀正が上杉氏を離反して徳川氏に降ると塩崎氏もまた徳川氏に属したという。

説 明

塩崎城は長谷寺の西背後に聳える標高560mの尾根頂部に築かれている。現在は登山道が整備されている。

塩崎城は山頂の主郭から東へ段々と曲輪を連ねた単純な縄張りではあるが、所々特色がある。まず、主郭背後は高土塁となっているが、この土塁の背後にも曲輪があり、その間に両側に竪堀を入れた珍しい構造になっている。また、主郭の北側は石塁でそのまま東下の二郭へ続いている。

主郭の東下にある二郭は南端に石垣を用いた檀があるのだが、これがどんな用途であったのかまったく想像ができない。

主郭の西背後の尾根は三条の堀切で遮断しており、この堀切から伸びた竪堀は長大である。主郭の北側面には竪堀とそこから派生した斜めに落ちていく横堀状の遺構があり、その先端は竪堀になっている。

現在長谷寺から続いている登山道は東端の曲輪の一段上に付いているが、この部分は石積があり、虎口のようである

案 内

長谷寺から登山道が続いている。

最寄り駅(直線距離)
1.2km 稲荷山駅
3.3km 屋代高校前駅
3.4km 東屋代駅
3.5km 屋代駅
3.6km 屋代駅
所在地/地図
長野県長野市篠ノ井塩崎
付近の城(直線距離)
1.0km 信濃 赤沢城
1.6km 信濃 小坂城
2.5km 信濃 和田城(信更町)
3.7km 信濃 屋代城
3.8km 信濃 大塔城
4.9km 信濃 茶臼山陣場
5.2km 信濃 布施高田館
5.3km 信濃 唐崎山城
5.4km 信濃 横田城
5.8km 信濃 堂城山砦
6.0km 信濃 鷲尾城
6.1km 信濃 明徳寺館
6.5km 信濃 小森氏館
6.8km 信濃 天城城
6.9km 信濃 妻女山陣場
7.3km 信濃 鍛冶屋敷
7.5km 信濃 戸部城
7.7km 信濃 鞍骨城
7.7km 信濃 清野屋敷
7.9km 信濃 内後館
7.9km 信濃 於下館
8.2km 信濃 杵淵館
8.4km 信濃 證城
8.4km 信濃 広田城
最終訪問日
2014年11月
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