築城年代は定かではないが室賀氏によって築かれたと云われる。 室賀氏は屋代城屋代氏の支流で室賀郷を本貫とした一族である。
はじめ葛尾城の村上氏に従っていたが、甲斐の武田信玄が村上氏を越後へ追いやると武田氏に従った。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると徳川家康に従ったが、翌天正11年(1583年)真田昌幸と争い一旦は和睦となったが、室賀兵部少輔は後に謀殺された。
室賀氏の一族は室賀源十郎が徳川氏に仕え、江戸時代には旗本となり尾張藩に仕えて千五百石を領している。
笹洞城は室賀水上神社の西背後に聳える標高690m程の山に築かれており、現在は山頂まで登山道が整備されている。東下の県道は室賀峠を越えて坂城へ通じる街道で、それを押さえる位置にある。
東西に伸びた尾根の最高所に主郭があり北西部や南側面に石積が残る。南に一段低い所があり、そこが主郭の虎口となる。西尾根は三重堀切で内側は大堀切、外側は小さな堀切を設けている。
主郭の東下に一段腰曲輪があり、その下に堀切を挟んで小さな段曲輪が続いているが、北側面に連続竪堀を設けている。
主郭から南へ伸びた尾根にも段曲輪が続くが、こちら側には堀切はなく、そのまま自然地形となっている。この先には居館である原畑城がある。
登山道は東麓にある室賀水上神社の境内から付いており、境内に駐車可能である。
東にある前松寺は室賀氏の菩提寺で墓所がある。
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