築城年代は定かではない。
伝承に寄れば武田信玄の家臣馬場美濃守信房によって築かれたと云われ、天文22年(1553年)武田氏が村上義清の居城である葛尾城、そして塩田城を落とし、永禄3年(1560年)に海津城を築いて川中島へ進出する間に築かれたのではないかと推測されている。
岡城は清野川による段丘を背にする形で南を除く三方に堀を巡らせた平城である。
岡城は本丸とその外側を囲む二の丸があり、南を除く三方にそれぞれ三日月堀を伴う馬出しがあったことが「岡城絵図(宝永郡絵図)」で知られ、宅地や田畑に埋もれているが、東の馬出は現在でも確認することができる。
本丸は市営岡団地のある所で、西側には現在でも良好に堀跡を確認することができる。案内板は二の丸の北に残る岡城公園にあり、この部分は非常に高い土塁と空堀か残されている。二の丸は一部道路と重なっているが、土塁を追っていくことが可能である。
岡城公園に案内板がある。北側に川西地区防災センターがあり、そこに駐車可能。
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