築城年代は定かではない。中世に大宝寺城があったと云われ、鎌倉時代に大泉荘の地頭に任ぜられた大泉氏平の子孫である武藤長盛によって築かれたと云われる。
天文元年(1532年)大宝寺城は砂越氏との争いで焼失し、武藤晴時は尾浦城に居城を移し大宝寺城はその支城となった。
武藤氏が滅亡したのち、越後の上杉氏が一時支配したが、慶長6年(1601年)最上義光の所領となると隠居城として整備され鶴ヶ岡城と改称された。
元和8年(1622年)最上氏は改易となると信濃国松代から酒井忠勝が十三万八千石で庄内へ移り、鶴ヶ岡城を居城として庄内藩となった。酒井氏は鶴ヶ岡城を三の丸を増築して城下町を整備するなど近世城郭へと大改修した。以降は酒井氏が十二代続いて明治に至る。
鶴ヶ岡城は鶴岡市の中心に位置し、現在は鶴岡公園として整備されている。鶴岡公園の範囲が概ね本丸と二の丸で、本丸には初代庄内藩主である酒井忠勝などを祀った荘内神社が鎮座している。
本丸を囲むように二の丸を配しており、土塁と水堀が廻らされていた。水堀や土塁は東側がだいぶ埋まっているものの、他方はそれなりに残されている。南東には庄内藩藩校である致道館、西側には酒井氏庭園などが残されている。
鶴岡市役所の西側にあり、周辺には多くの無料駐車場がある。藩校旧致道館は無料開放されている。
最寄り駅(直線距離)