築城年代は定かではないが大室氏によって築かれたと云われる。
天正10年(1582年)武田氏滅亡後、織田信長の武将森長可に従ったのもつかの間、信長も本能寺の変に倒れ、越後の上杉景勝にに従った。
慶長3年(1598年)上杉景勝が会津へ転封となると大室氏もこれに従って移り千五十石を領した。
霞城は奇妙山から北西に伸びた尾根の一つ、標高400mの頂部に築かれている。
長野県には石垣を用いた中世城館が多く残されているが、この霞城はその中でも異質で、総石垣造といっても過言でないほど石垣を多用した城郭である。石垣はさほど高く積み上げられたものではないが、二段、三段に分けて高くしている部分のもある。
北東の大室地区にある永福寺から登る事ができる。登山道付近に駐車も可能だが、大室公民館にも置くことができる。
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