信濃 保科氏館しなの ほしなしやかた
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保科氏の居館で永正10年(1513年)に村上頼衡の侵攻によって消失し、天文2年(1533年)に広徳寺が館跡に移されたという。
現在の広徳寺境内が保科氏の居館という。現在の惣門は消失した保科氏の館のなかで唯一焼け残った裏門であるという。