築城年代は定かではないが井上氏によって築かれたと云われる。 井上氏は鎌倉時代に清和源氏頼信の子頼季がこの地に来住して井上氏を称したのが始まりとされる。
鎌倉時代から南北朝時代にかけての活動は詳らかではない。室町時代に入ると井上十六郷の井上政家、小柳・亘理の井上政満、長池郷の井上為信などが登場する。戦国時代には井上氏は衰退しており、綿内井上氏が須田信正に属していたといわれる。
井上城は須坂長野東icの南東、浄運寺の南西背後に聳える標高520m程の山に築かれている。東西二つの峰に「大城」、「小城」と呼ばれる曲輪群があり、その二つを総称して井上城と呼ばれている。
東の峰にあるのが大城で、こちらが主郭となる。大城は東西に長い主郭を腰曲輪と帯曲輪が取り巻き、北東下に腰曲輪がある。南の帯曲輪は西側が土塁が付いて横堀状になっている。北東下にある腰曲輪の端からは一条の竪堀が北へ落ちている。井上山へ向かう南東尾根に三条の堀切、小城へ向かう西尾根に一条、さらに三重堀切がある。
西の峰にあるのが小城で、最高所の曲輪を中心に東と北西に段を連ねているが、尾根を遮断するような堀切はなく、北へ伸びた尾根の脇に竪堀らしきものが二、三確認できる程度である。
登山道は大きく二つあり、小城から北へ伸びた尾根の先端部分と浄運寺からで、そのまま一周してくるのが良いだろう。
北尾根の登山道脇に「井上の枕状溶岩」という天然記念物の碑があり、この付近に駐車できる。(地図)
浄運寺は山門脇から道標があり、東の墓地へ登っていく方から登山道がある。
最寄り駅(直線距離)