元和3年(1617年)堀直升によって築かれた。
藩祖堀直重は越後国三条藩主堀直政の三男で後に飯山藩主堀直寄の弟である。はやくより徳川家康に人質として江戸に送られ、徳川秀忠に仕えていた。慶長6年(1601年)下総国香取郡矢作に二千石の所領を得て、慶長15年(1610年)に信濃国高井郡内に六千石を加増、元和元年(1615年)大坂夏の陣の功により、四千石余りの加増を受け、一万二千五十三石を領して諸侯に列した。
翌元和2年(1616年)堀直重が没して嫡子直升が家督を継ぐと、下総国矢作領二千石を直昭に千石、直久と直房にそれぞれ五百石と三人の弟に分知し、一万五十三石となった。
元和3年(1617年)に堀直升がはじめて須坂に入部し、陣屋が完成するまでの間は普願寺に仮住まいを設けていた。その後、代々堀氏が続いて明治に至る。
須坂陣屋は現在の須坂小学校と奥田神社の境内付近に築かれていた。 小学校の北側の道路に面した石垣が陣屋の遺構である。
鐘楼(移築 その他)