築城年代は定かではないが須田氏によった築かれたと云われる。 須田氏は井上氏の庶流で井上満実の子為実を祖とし須田郷を領した。
戦国時代には須田城を居城とした惣領家と大岩城を居城した大岩須田氏に分かれていたようで、大岩須田家は須田満国のとき村上義清が武田氏に敗れたため上杉謙信に従った。
武田氏が滅亡すると満国の子満親は上杉景勝から北信四郡を任され、海津城将として一万二千石余りを領した。上杉景勝が会津に転封となると須田氏もこれに従い、須田長義は陸奥国梁川城代として二万石余りを領した。
大岩城は雨引城のある明覚山から北へ伸びた尾根の標高677.2mの山頂に築かれている。西麓には居館とされる大岩須田氏居館(蓮生寺)がある。
主郭は山頂にあり、南北に伸びた尾根に堀切で区画した曲輪を連ねている。主郭付近は険しい地形であるが、側面には石積も残されている。南尾根に残る三条の堀切は大きく、特に主郭に近い側は大堀切で竪堀としても長大に伸びている。しかし、北へ続く尾根にある堀切はそれほどの規模はなく、険峻な細尾根になっている。
主郭の西山腹には天水溜めがあるようだが、残念ながら諸事情により確認することができなかった。
西麓の大岩須田氏居館(蓮生寺)に大岩城と須田氏居館の案内板があるが、こちらからは登山道はないようだ。
東側の高山村側に登山道入口(地図)があり、入口を入って右側へ進んで行くと山上に登っていく道がある。
最寄り駅(直線距離)