築城年代は定かではない。はじめ成田備前守の居城とも伝えられるが定かではない。 応永30年(1423年)に和田房資の一族の居城となった。
天文年間(1532年〜1555年)頃には三条長尾氏の家臣丸田伊豆守の居城となり、天正6年(1578年)の御館の乱では、上杉景虎に味方した。天正8年(1580年)上杉景勝の攻撃により落城した。
大面城は小滝集落のある谷の東の奥にある山の頂に築かれている。
標高150m付近を最高所として南北に曲輪が連なる。最高所の部分は「お太鼓櫓」と呼ばれ土塁あるいは櫓台のような高まりになっている。 南北に連なる曲輪は総じて幅の狭いものが多く、切岸による段差と一部堀切によって区画されている。
主郭と見られる一体は西側の山腹に比較的広い曲輪と、数段の帯曲輪が付いている。 桝形城とは隣接しており、登山口のある谷から北上するとそのまま桝形城と大面城との鞍部に至り、堀切か切通しの地形になっている。
南の小栗山城も尾根伝いになっており、桝形城を散策したあと、一度下山して再度小栗山城を目指したが、どうも遺構が見あたらない。よくよく確認してみると「新潟県中世城館跡等分布調査報告書」に掲載されている詳細図の網掛けの位置が西にずれており、地形が似ていることから登ってみるまで気がつかなかった。うろうろしている間に陽は落ちてしまったため断念。また機会があれば見てみたい。
県道8号線から小滝集落のある谷に入る道の入口に大面城周辺案内図がある。ここから谷の奥へ進んでいくと未舗装の農道の入口に付く。し広くなっているので、ここに車を駐めて歩いていくと麓に城門が見え、ここが登山口になっている。
最寄り駅(直線距離)