詳細不明。下田長尾氏の本城である高城の支城とも伝えられる。
永禄11年(1568年)に長尾藤景は春日山城にて上杉謙信の命を受けた本庄繁長によって誅殺されたという伝承がある。この知らせを聞いた家老の長尾興里は、この原の城(栄雲寺城)などの出城を固めて、栃尾城主本庄実乃率いる軍勢を迎え撃ったが、多勢に無勢で敗れ長尾興里は討死したという。なお、本庄繁長は永禄11年(1568年)3月に武田氏に通じて本庄城で挙兵しているので、これ以前か別人であろう。
栄雲寺城は栄雲寺の北東背後にある標高92mの山頂に築かれている。
栄雲寺城は単郭の城で、北西背後の尾根と南東先端の尾根を堀切で断ち切っている。 未確認だが東側斜面に八条の連続竪堀があるという。
国道290号線沿いに「原城山城址入口」の標柱があり、栄雲寺を目指せばよい。栄雲寺に案内板があり、そこから城山まで遊歩道が通じている。一応車道もついているが道は悪く歩く方が良い。
最寄り駅(直線距離)