応永33年(1426年)長尾因幡守豊景によって築かれたと云われる。
下田長尾氏は長尾房景の子豊景を祖とすると云われ、下田郷を五十嵐氏と二分する形で、東半分を領有していた。
長尾藤景は奉行を務めるなどの重臣であったが、永禄11年(1568年)上杉謙信によって謀殺され、高城も栃尾城主本庄実乃によって攻められ落城した。
高城は五十嵐川北岸に聳える袴腰山の西、標高370mの山に築かれており、現在はハイキングコースが整備されている。
比高330mほどの山であるが、下田長尾氏の菩提寺である長禅寺から緩やかな尾根を登るハイキングコースが整備されていおり、比較的楽に登る事ができる。
主郭は山頂にあり案内板や避難小屋も整備された展望台となっている。 東背後を遮断する大堀切から北へ伸びた竪堀は北側面へ回り込むように続き、南は一直線に伸びる。この南竪堀の西側に畝状竪堀群が確認できる。
東尾根はさらに曲輪を挟んで大堀切があり、こちらも屈折したながら竪堀が伸びている。これより東は不明瞭な曲輪群となるが東端に堀切がもう一条ある。
主郭から西へ続く尾根には堀切があり、その先に段曲輪が続くが2ヶ所の堀切が確認できる。
長禅寺前のヒメサユリの小径駐車場が利用でき、高城の案内板やトイレも完備している。
登山道は駐車場の東の舗装された道を登るコースもあるが、長禅寺のから登るコースを辿ると下田長尾氏廟所を経由して行くことができる。