元和2年(1616年)市橋下総守長勝によって築かれた。
このあたりには中世三条城が存在していたが、元和2年(1616年)市橋長勝が伯耆国矢橋より四万三千石で入封、このとき近世三条城が新たに築かれた。元和6年(1620年)長勝が没すると嗣子なく改易となったが、家康の信頼が厚かったことなどから養子の市橋長政に二万石が与えられ、近江国仁正寺に陣屋を構えた。
近世三条城は北三条駅の南西にあった三条小学校跡一帯が本丸であったと推測されている。地表面には遺構がないが、外堀や三の丸など部分的に発掘調査で検出されている。
北三条駅西側の高架付近に案内板が設置されている。