元亀元年(1570年)早部甚甫守によって築かれたと云われる。
早部氏の後は長尾加賀守、本庄備前守、宇佐美平六、栗山大学、和田清八、小田切主膳、下越左京などが城主となったが、慶長3年(1598年)上杉景勝の会津移封により廃城となった。
加茂山要害城は加茂市街地の南に聳える標高106m程の山に築かれている。 尾根続きには支城とされる剣ヶ峰砦がある。
主郭は山頂にあり神明社の境内となっている。この主郭を中心に東西南北に伸びる尾根に曲輪を配しているが、東側から北の参道方面に概ね大きな曲輪群があり、西し南の尾根は複数の堀切によって遮断している。
本丸にある神明社への参道は加茂南小学校の南、本量寺保育園の西側の細い路地の奥から付いている(地図)。
もう一つ、加茂山公園から剣ヶ峰砦を経由して行く西尾根から行くハイキングコースがある。加茂山公園には無料駐車場があり利用可能である。
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