築城年代は定かではない。平安時代末期に羽生田周防守によって築かれたとも伝えられるが、南北朝時代頃に平賀氏によって築かれたと推測されている。
越後守護職上杉房朝と守護代長尾邦長が争った応永の乱(1423年)では上杉方の中条(和田)房資が立て籠もって戦い、守護代長尾為景が守護職上杉能房を討った永正の乱では為景方の重要拠点となった。
天正9年(1581年)上杉景勝は甘粕景継に護摩堂城への在城を命じ新発田氏に備えたが、天正11年(1583年)甘粕景継は五泉城へ移り、上杉氏の番城となった。
護摩堂城は標高271mの護摩堂山山頂に築かれており、現在は登山道が整備され「アジサイ」で有名な山となっている。
護摩堂城は山頂の主郭を中心に南北に伸びる尾根と西へ伸びる尾根に曲輪を展開している。大きな曲輪は主郭から北西の新津曲輪と呼ばれる一帯で、主郭は東背後に高土塁があり、北東隅に櫓台を備えている。主郭の西下には深い横堀が付いているのだが、残念ながら立ち入り禁止である。そこから少し降りると矢玉を遮蔽した蔀(石塁)という珍しい遺構がある。
護摩堂山への登山道はいくつかあるようだが、一般的なのは西麓からの道で、東龍寺の近くに駐車場があり、そこからなだらかな遊歩道が山頂まで続いている。(地図)
最寄り駅(直線距離)