築城年代は定かではない。三条長尾氏の家臣丸田右京之助の居城と伝えられる。
天正6年(1578年)の御館の乱では、上杉景虎に味方した丸田掃部助俊次が、この見附城に籠城したと伝えられ、天正8年(1580年)上杉景勝の攻撃により落城した。
見附城は、見附運動公園の北側にある総持寺の背後に聳える標高117.5mの城山山頂に築かれている。
見附城はほぼ単郭の城で、北東側に続く尾根は道路のように拡張されて不明瞭であるが、堀切によって遮断していたと思われる。主郭は一段小高くなり、西から北西側にかけて土塁が残っている。一段下がって帯曲輪状のなだらかな地形が周囲を囲み、西側は畝状阻塞(畝状竪堀群)がある。
主郭から北西に伸びた尾根に堀切が二条ほどあり、削平地もあるが、後世の改変と見られる地形があり、明瞭ではない。また総持寺へ向かう南の尾根もなだらかな地形が続くが、堀切など明瞭な遺構は残っていない。
南麓にある総持寺あるいは元町神社の所から遊歩道が山頂までついている。背後の尾根は大平森林公園に向かって遊歩道が続いている。
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