築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)に土山盛忠によって築かれたと云われる。
代々土山氏の居城であったが天正10年(1582年)土山盛綱の時に滝川一益によって攻め滅ぼされた。
城は南西に延びた尾根に築かれている。 主郭は他の甲賀の城と同じく方形に土塁を設け、北と南に虎口を開いているが、虎口の南側には馬出しがある。主郭背後は北東の堀切が北へ回りそのまま竪堀となって北へ落ちる。主郭の東側面には主郭を回り込むように道があり一部土塁が残るが、この道は別の尾根へ続いており後世のものかもしれない。馬出しの南側にも曲輪があり南側を土塁が覆い、土橋の架かる堀切がある。谷を挟んで西側の尾根にも東側に土塁が残る削平地がある。
他の甲賀の城と異り馬出しがあることから、土山氏が滅亡した後に城を改修したものといわれ、一説に小牧・長久手合戦において羽柴秀吉が改修された土山城に一時期在城したともいわれている。
入口は南側にあり案内板や石碑がある。駐車場はないが入口近くにある畑組集会所に駐める事ができる。
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