詳細不明。かつてこの辺りには敏満寺という天台宗の大寺院があり、室町時代には佐々木六角氏や京極氏などと対立するようになり、その要塞として敏満寺城が築かれたと考えられている。永禄5年(1562年)には浅井長政の攻撃を受けた久徳氏に味方したことから坊舎がことごとく焼き払われたという。
敏満寺城は名神高速道路上り線敏満寺saにあるドッグランとなっている辺りに遺構が残されている。saの北側にあるドッグランの近くに案内板があり、ドッグランの南西隅に櫓台、その脇に虎口があった。
名神高速道路上り線敏満寺sa内にあるが、外側から入ることも可能。また下りのsaからも歩道橋を使って渡ることができる。
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