築城年代は定かではないが永正13年(1516年)か大永3年(1523年)頃に浅井亮政によって築かれたと云われる。 浅井氏は藤原姓を称すが出自は詳らかではない。近江国守護職の京極氏の被官の一家であった。
大永3年(1523年)京極高清の跡目争いで家臣団最大の上坂信光が失脚し、浅見貞則が筆頭となったが、浅見貞則も専横するようになり、浅井亮政と国人衆は上坂信光と和睦して京極高清を迎え、浅見氏と対立した。この高清を迎えたのが小谷城の京極丸だと云われる。
浅井亮政が頭角を現すと南近江の六角定頼と対立する。大永5年(1525年)六角定頼が攻め込んでくると亮政は朝倉氏に援軍を仰ぎ、朝倉宗滴が来援、この時に朝倉金吾教景が小谷城に布陣したのが金吾丸と伝えられる。
天文11年亮政が没して浅井久政が家督を継ぐと、対立関係にあった六角氏に従うようになった。しかし、家臣たちはこれに納得せず、久政の嫡男賢政(後の長政)が、永禄3年(1560年)野良田の戦いで六角義賢に勝利すると久政は隠居を強要され、長政が家督を継いだ。
永禄11年(1568年)頃には長政は織田信長の妹お市を妻に迎えて同盟関係となるが、元亀元年(1570年)信長が朝倉義景を討伐するため金ヶ崎城を攻めると、朝倉氏とも同盟関係にある浅井長政は挙兵して織田軍の背後を襲ったが、羽柴秀吉の殿軍によって信長は辛くも脱出した。
姉川合戦で織田・徳川連合軍と戦って敗れると、織田信長は横山城に羽柴秀吉を置いて小谷城の付城とした。元亀3年(1572年)織田信長が北近江へ侵攻し虎御前山城へ布陣すると、長政は朝倉義景に援軍を求めた。このとき援軍に駆けつけた朝倉軍によって山崎丸・福寿丸・大嶽城が築城・改修されたと云われる。天正元年(1573年)8月織田軍が浅見対馬守の手引きによって大嶽城を攻め落とすと、形勢不利とみた朝倉軍が越前に撤退しはじめた。これを好機と見た織田信長は、小谷城の包囲を嫡男信忠に任せ、自ら先頭をきって朝倉軍の追撃を実行し、刀根坂の戦いで朝倉軍に壊滅的な打撃を与えた。織田軍によって朝倉氏の居城である一乗谷は焼き払われ、朝倉義景は大野まで逃れたが、一門である朝倉景鏡の裏切りにより自刃して果て、越前朝倉氏は滅亡した。
朝倉氏を滅ぼした信長はすぐさま近江へと戻り、小谷城の攻略を始まる。まず秀吉が京極丸を突破して浅井久政のいた小丸と浅井長政の本丸が分断された。さらに小丸へ攻め寄せると久政は自刃、次ぎ本丸が攻められると、長政は本丸下の赤尾屋敷で自刃し、浅井氏は滅亡した。
浅井氏の後は羽柴秀吉が城主となったが、長浜城を築いて居城とし、小谷城は廃城となった。
小谷城は標高494.5mの小谷山の南に広がる清水谷を囲むように東西両側に広がる尾根に曲輪群が築かれている。 小谷城本丸は東尾根の標高350m付近を本丸とした城で、尾根先には出丸、山頂には大嶽城、西尾根には福寿丸と山崎丸、山頂から東へ伸びた尾根に月所丸が築かれている。ここでは小谷城の金吾丸から六坊跡までを紹介する。
小谷城は南の尾根先から順に、出丸・金吾丸と続き、主郭の南端である番所へ至る。番所からは御茶屋・御馬屋・桜馬場・大広間を経て本丸、さらに中丸・京極丸・小丸・山王丸と続く。その後少し離れて六坊跡があり、月所丸に至る。
金吾丸は標高290m付近で、独立した曲輪であるが、特にめぼしい遺構はなく、平段のみである。
番所を経て御茶屋へ至ると南端に土塁が付いた曲輪となり、さらに一段上ると御馬屋に至る。御馬屋には馬洗池があり、今でも水を蓄えている。御馬屋は周囲に土塁が巡る曲輪で、桜馬場の角石垣が見える。
御馬屋から登ると首据石を経て桜馬場と大広間の間の虎口に至る。桜馬場は北と南西下の二段の曲輪で、石積や建物礎石が残り、一角に浅井氏及び家臣の供養塔が建っている。
桜馬場から大広間へ至る虎口は金黒門跡で、石段と両側に石垣が残る。大広間は広大な曲輪で、その奥に本丸とされる土壇があり、その裾に井戸が残る。本丸の東下へ続く腰曲輪は赤尾屋敷跡で、ここに「浅井長政自刃の地」の石碑が建っている。
本丸の北尾根は大堀切を経て中丸へ通じる。中丸の後に京極丸で、東側にはきれいな土塁が残っており、南東と南西に虎口が付いている。京極丸の上が小丸で、ここが浅井久政の居た曲輪と云われる。
小丸の上にあるのが山王丸で、山王社が鎮座していた所という。東側に大石垣が残り、南側の石垣も巨石によるもので中央には破壊された跡が残る。
山王丸から少し降って行くと六坊跡があり、ここは浅井久政によって領内から集められた寺があった所だという。
国道365号線郡上南交差点の北側に清水谷の入口がある。この奥に近年作られた小谷城戦国歴史資料館が建っている。
駐車場はこの辺りに沢山あり、整備された登山道を利用して小谷城・月所丸・大嶽城・福寿丸・山崎丸と周遊することができる。一通り見て回って約四時間であった。 最近だろうか、有料の定期バスが設けられている。
最寄り駅(直線距離)