豊臣秀吉に仕えて江戸時代に筑後国柳河三十万石の大名となった田中吉政が城主であったという伝承が残る。
田中吉政の出自に関しては『寛政重修諸家譜』から近江国高島郡田中村とされるが、もう一つ浅井郡三川村あるいは宮部村を出自とする説がある。宮部城主の宮部継潤に仕えて三川城を居城としたというもので、還来寺には吉政没後に二代柳河藩主田中忠政によって寄進された短冊散花文様打敷が伝来する。
三川城は現在の三川集落の北東に築かれていたと伝えられる。 現在は圃場整備された水田となり遺構はないが、小字として「城形」・「内形」・「堀ノ前」などの地名が残る。