元亀3年(1572年)朝倉氏によって築かれたと云われる。 福寿丸の名は守将であった木村福寿庵から名付けられたと云われる。
山崎丸は小谷城のある小谷山山頂から清水谷の西側を南へ派生した尾根、標高298mに築かれている。山頂の大嶽城と尾根先の山崎丸との中間に位置する。
福寿丸は単郭の砦で、なだらかに傾斜した曲輪の周囲に土塁が巡り、北と東に虎口を開く。北虎口は細い通路が中央やや西から北東隅へと繋がっており、その北側は土橋の架かる堀切によって遮断している。東の虎口は食い違いになっているが、城内側北端に土塁を設け、南東の外側には南北に空堀を設けている。